目先の「勝ち」の一方で失うもの

 こちらが間違えたとき、これ見よがしに罵倒する人がいます。こちらとしては間違えていないから反論しづらいものがあります。
 だからこそ、罵倒しやすいと向こうは思うわけです。
 その結果、その場ではいい気分で相手を殴り続けることができるわけです。
 ただ、それには当然、反動があります。
 殴られたほうは、それを忘れることができないからです。
 一年ちょっと前に、パソコンの相談に乗り、セキュリティソフトのインストールをサポートした人から、数カ月後に「通信が遅くなった、ふざけるな!」と罵倒されたことがありました。
 もちろん、セキュリティソフトが原因ではなく、通信障害が発生しただけの話です。その通信障害にはこちらは何の責任もありません。
 その人から、今朝、パソコン操作の相談電話があったのですが、こちらは「塩対応」させていただきました。
 率直にいって、どんな面さげて相談してくるのだろうか、と呆れたのですが、本人は罵倒した事など、すっかり忘れているのでしょう。
 それはともかく、ここで「塩対応」しないと、罵倒をせずに普通にパソコンの相談をする人に失礼になると思っています。
 このように、相手の「失敗」につけこんで罵倒しても、一時的な優越感は得られるかもしれませんが、後で絶対に損をするので、辞めたほうがいいのでは、と思っています。