前提を疑う

 壊れた機械が正常に動いていると思い込んで、右往左往する人々、という小話を見ました。
 あまりにもおかしいの結果が出るのですが、誰も「機械が壊れている」とは思わないわけです。
 そこさえ疑えば、全ては解決するのですが、なかなかそこには発想が至らないのでしょう。
 もちろん、これはフィクションの世界だけの話ではありません。
 実際、自分も複数の職場で「この職場のシステム自体がおかしい」と結論づけた事は多々あります。
 しかし、周りの人は「このシステムが間違っているわけがない」という前提に、おかしいシステムを容認していました。
 それを信じ続けられれば、悩みもなく「幸せ」に過ごせるのかもしれませんが、自分にはそれは不可能でした。
 というわけで、これからも、「どう考えてもおかしい」という前提は疑い続けようと改めて思いました。