横綱審議委員会を「審議」する

2004/3/13

 2004年大相撲初場所は、異様な雰囲気の中で始まった。前年6場所中3場所で優勝した、唯一の横綱・朝青龍関がいきなり「引退の危機」に立たされたからだ。
 事の発端は、朝青龍関が先代高砂親方(朝青龍関の師匠の兄弟子)の葬儀や正月の恒例行事の綱打ちを欠席したことらしい。朝青龍関によると、風邪による体調不良との事だが、すでに「朝青龍=悪人」モードに入っている各マスコミは、「勝手にサボった」という形で報道した。
 そして、そのマスコミの頂点とも言える、大新聞社社長の横綱審議委員(前委員長)が、「引退勧告もありうる」とぶち上げた。これは初めての事ではなく、半年ほど前に朝青龍関が旭鷲山関とトラブルを起こした時も、やはり「引退勧告」などと言っている。よほどそのような「権威」をふりかざすのが好きなのだろう。
 そして、この審議委員が社長をやっている新聞社系列のスポーツ紙は翌日、この発言を大々的に報じた。また、それ以外の社も、同様の論調でこの「引退勧告の可能性」を当然の発言として報じた。
 これは、朝青龍関の言動に対する脅しなのだろう。しかし、本当に「勧告」して、その結果、朝青龍関が引退したら、一体どういう事になるだろうか。
 2003年の大晦日、「国民的番組」の紅白歌合戦が一時的とはいえ、他番組に視聴率を下回る、という事があった。その番組とは、ボブ=サップ選手と元横綱の曙太郎選手によるK-1の試合である。
 膝の故障などの体力的な理由で3年ほど前に引退した「元横綱」ですら、これだけの「商品価値」があるのだ。現役バリバリなうえに、他の力士と一段違う強さで角界に君臨している朝青龍関などは、さらに「商品価値」が高くなるだろう。総合格闘技界に転向すれば、朝青龍関は、今以上の収入と注目度の高い晴れ舞台を得る事が可能になるわけだ。しかも、朝青龍関には、兄を通じて、総合格闘技やプロレスにも人脈がある。
 その一方で、ただでさえ観客減に悩まされている相撲界はどうなるだろうか。現在最強横綱の離脱は、さらなるマイナスにつながるだろう。。
 結局、もし本当に「引退勧告」が実施されたら、朝青龍関の人生にとっては単なる「ターニングポイント」くらいにしかならない。しかし、相撲協会にとっては大打撃となる。つまり、この横綱審議委員は、相撲協会にとって百害あって一利ない事を、「伝家の宝刀」であるかのごとく、振りかざしているわけである。
 はたして、このような人物が「横綱審議委員」として、相撲協会に関わる事は、相撲協会や相撲ファンにとって、何か益のある事だろうか。

 まあ、この審議委員氏は、相撲のみならず、野球などでも独自の暴言を繰り広げる事で有名である。とはいえ、彼一人が特殊ではない。名前は忘れたが、20年ほど前に横綱審議委員長だった人は、横綱が引退するたびに「引退が遅すぎた」などと非礼な発言を続けた。確かに、成績が上がらなくなり、休場がちになった横綱は、引退せざるをえない。しかし、そんな事は子供にだって分かる。だいたい、言われなくても、本人がそんな事は重々承知している。にもかかわらず、横綱たちは、彼らなりに思うところがあって、力が衰えた事を承知の上で満身創痍の体で土俵に上がるのだ。
 そんな事も分からないで、偉そうな肩書きを持って、意味のない能書きを垂れる「横綱審議委員」の見識に、当時中学生だった筆者は心底呆れたものだった。
 これらの二人はかなり特殊な例なのだろう。しかし、他の委員にしろ、あまり相撲界に役立っているとは思えない。筆者の知る限り、彼らの発言も不快感こそもたらさないものの、そこらへんにある「ファンによる相撲評論」程度のものでしかない。
 ちなみに、肝心の朝青龍関はその初場所でも圧倒的な実力を見せて全勝優勝。「引退勧告」などは完全に吹っ飛んだ。それに対し、横綱審議委員長はそれに全勝優勝したことは、人間を相当変えてくれるという期待もあるなどと発言した。「結果的に相撲に勝てばいい」だけなら、最初から品格がどうこうなどと文句をつける意味はないのではなかろうか。

 横綱の場合、「なるかならないか」は、その人の力士生命を大きく変える。なにせ、一度横綱になったら最後、星があがらなければ休場を余儀なくされる。そして休場が続けば引退だ。つまり、「審議委員」たちは、傑出した実力を持つ力士たちの運命を決めるほどの事を「審議」しているはずだ。果たして、そのように暴言だの評論だのを言っていればすむほど、今の横綱に関する制度は万全なのだろうか。
 かなり前から、横綱昇進の条件は「大関で2場所連続優勝・もしくはそれに準じる成績」となっている。つまりは、二場所三十番の成績が、その力士の競技人生を決めるのだ。果たして、これは適切な事なのだろうか。
 たとえば、66代横綱の若乃花勝関(引退後藤島親方→退職)は、横綱在位期間は11場所で、29歳で引退した。11場所のうち、優勝はゼロ・フル出場は5回でうち1回は負け越している。この横綱としての成績を見れば、結果論として横綱推挙が正しかったかは疑問である。
 実際、大関の成績を見ても、平均勝数は11.2勝(5回の全休・途中休場は除いた成績)である。横綱昇進前1年の成績を見ても11.4勝だ。さらに言うと、当時の実力第1位であり実弟でもある横綱・貴乃花関(現貴乃花親方)や、トップ5クラスだった大関・貴ノ浪関とは対戦がない。
 ちなみに、その貴乃花関は大関在位時の平均勝数は12.5勝で、昇進前1年に至っては13.3勝だ。また、朝青龍関も大関在位時(といっても三場所だけだが)の平均勝数は12.6勝、横綱昇進1年前は12勝だ。これだけ成績が違うのに、二場所三十番の成績だけで、「横綱昇進」を決めていいものだろうか。
 他にも検討すべき点は多数ある。先述したように、若乃花関は同部屋のため、横綱・大関各1人との対戦がなかった。果たしてそのような結果をもたらす「部屋別総当り」というのは改善の余地はないのだろうか。別に「部屋別総当り」は相撲界創設以来の決まりではない。かつての東西制が、20世紀半ばより、一門別総当り→部屋別総当りと、段階的に改善されてきた。少なくとも、若乃花関の昇進経歴と昇進後の成績を見る限りは、個人別総当りだったら、違う結果になっていたのでは、と思えてくる。
 これらの疑問はかなり前から言われ続けてきたことだ。にも関わらず、旧態依然のままである。このような「角界の論理」に対して、外部の立場から、常識的かつ論理的な提言をするのが、「横綱審議委員会」のすべき事ではないだろうか。
 現状の暴言をはじめとした無意味な発言を見聞きする限り、横綱審議委員会は力士に「引退勧告」をちらつかせる前に、自らの存在意義を考えなおしたほうがいいのでは、と思う次第である。
 参考サイト・大相撲・記録の玉手箱

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