納豆ご飯を巡る争い
1999/12/23
 食品業界では、毎日のように新製品が開発されている。そのなかで、筆者が尤も画期的と思って評価しているのは、一人分サイズごとにパックされた納豆である。
 今でこそ、スーパーで売られている納豆のほとんどは、一人分サイズを2〜4個まとめたものである。しかし、筆者の幼少時代に豆腐屋などで売られていた納豆は、今より一回り以上大きいパックに入って売られていた。
 そのころ、筆者の家の家族構成は両親・筆者より一つ上の姉・一つ下の弟だった。姉はさほど納豆は好きではなかったので問題はなかったのだが、筆者と弟はともに納豆ご飯に目がなかった。もちろん今でもそうである。
 当時の兄弟にとって納豆ご飯というものはある種神聖なものだった。よく四コマ漫画などで「栗ご飯の栗の数を争う」というネタがある。それが我が家では納豆ご飯の納豆の粒の数を争うになっていたのだ。
 最初に書いたように、当時の納豆のパックのサイズだと、二人で分けて食べることになる。その際、一粒でも多く納豆を食べたい、という心理が生じるのは幼児としては仕方ないところだろう。
 そこで採用されたのが、球技の「ゴールかボールを選ぶ」方式だった。片方がまず納豆を二つに分ける。そして分けなかったほうが、先に自分の取る納豆を選ぶ権利を得るのだ。もちろん、分ける人間は一回ごとに交代である。
 おそらくは、年の近い兄弟にありがちの対抗意識みたいなものが、「奴より納豆の量が少ない事など認められない」という心理を生み出したのだろう。いずれにせよ、一人一パックサイズの納豆が発売されるまで、この深刻な争いは続けられたのであった。

 さて幸いなことに筆者は現在、納豆を好きなだけ食べることができる水準の生活をしている。しかし、それでも納豆一粒に対するこだわりは捨て切れていない。そのため、毎晩の食卓に出る納豆ご飯を食べるとき、ついつい先にごはんを先に食べてしまい、最後には納豆だけが茶碗に残ってしまう。

※追記・なんでもこのような手法で兄弟げんかを防ぐのは、「ゲームの理論」という学問での有名な例題だったらしい。そう考えると我々は、なかなか高尚な兄弟みたいだ。もっとも結局は、一粒でも多くの納豆を得ようとする争いでしかないのだが(2003/05/13)