46歳にして自動車免許を取る
2016/1/12
1.運転免許を持たずに46歳になる
初めて免許を取ろうと思ったのは、大学に入った18歳の時だった。
自分が生まれ育った家は、両親とも運転せず、当然ながら自動車はなかった。また、運転する必要もなかった。
しかし、「大学生になったのだから免許くらい取らねば」というふうに思い、免許を取らせてほしいと親に言った。しかし、許可が降りず、入学したてで小遣いもない身としては断念せざるをえなかった。
その後、アルバイトをして、免許を取得できる程度の金を貯めた。しかし、その時は既に他にやりたい事が多く、免許を取る気は完全になくなっていた。
この結果を見れば、大学入学時に免許取得に親が金を出さなかったのは正しかったとしか言いようがない。
その後、就職・転職をしたが、いずれの仕事でも運転の必要性はなかった。そういうわけで、免許を持たずに46歳まで過ごしていた。
ところが、その46歳の秋に予期せぬことが発生し、そこから色々派生し、突如、免許が必要になった。
2.自動車教習所に入校
というわけで、近隣の自動車教習所を探し、そこに入ることにした。
自動車学校については選択の余地がなかった。なぜならば、自分の場合、仕事が休みの日は自宅から教習所に行く一方で、仕事がある日も、始まる前や終わったあとなどに教習所に行く必要があったからだ。
したがって、「自宅近くにも職場近くにも送迎バスを巡回させている教習所」というのが条件となる。それに該当するのは、津田沼自動車教習所一択だった。
といわけで、地理的条件以外の事前情報は一切検討せずに入校することになった。
入校したのは2015年の11月19日だった。年齢的には46歳と半年である。
受付で申込書を提出し、視力検査を受けて写真を撮られる。事前にネットで申し込みをしていたため、写真撮影料は無料サービスとなっていた。
入校する約1ヶ月前に、これまで生きていて一番悲しいことがあったため、写った自分の顔はえらく寂しそうだった。この写真は教習手帳や教習原簿などに貼付されるため、これから卒業までの約40日間、この寂しげな自分の顔を見続ける羽目になった。まあ仕方のない事だが…。
そして、教習所の説明を受ける。最初は所長さん、次は指導員さん、最後は事務員さんが担当していた。
とりあえず、まずは第一段階で学科教習を全部受け、さらには実技教習で規定の成績をあげたら仮免許が取得できて第二段階にいける事、並びに第二段階でも同様に学科を全部受け、実技で規定の成績を挙げたら卒業し、最後に免許センターで学科試験を受け、それに合格したら免許がもらえる、という事は分かった。
それ以外の細かいことはちんぷんかんぷんで全くわからない。
あと、周りを見回したら、皆、自分と親子ほど離れた若い人ばかりだった。中には、制服を着た高校生までいた。改めて、自分が「年取ってから免許取得を目指す人」だという事を痛感させられた。
なお、オプション料金を払えば短期間で取得できるよう教習スケジュールを調整してもらえる、という教習コースがあった。
しかしながら、仕事や他の予定がどうなるかが見えてこない部分が多々あった。そこで、追加料金なしで、予約は全て自分で行う「ベーシックコース」に入ることにした。
当初受けた説明はよくわからなかったが、ネット予約やキャンセル待ちを駆使すれば、順調に卒業できる、という事だった。
また、このコースだと、実技を2時間までしか予約ができない、との事だった。
入校日の翌日は仕事が休みだった。というわけで、とりあえず、教習所のパソコンで翌日の実技を2時間予約する。なお、学科のほうは、あらかじめ授業時間が決められており、それにあわせて受講する、という仕組みだった。一応、受講内容には番号がふられているが、別に順番通り受講する必要はないとの事だった。
というわけで、率直に言って何が何だかよくわからないが、とりあえず入校手続きを終え、教習所を後にした。
2.自動車を動かすのに八苦十六苦
翌日の昼前に、教習所の送迎車に乗って「通学」を開始する。
最初の授業は、カーシミュレーターを使っての模擬運転だった。一応、事前に教科書で予習をしてはいた。
とはいえ、実際にギアやハンドルを持ったり、アクセルやブレーキを踏んだりした。率直に言って何がなんだかよくわからない。
50分経って終了となったが、これで次に実際に車に乗って動かすのか、と怖くなった。あと2回くらいはこのシュミレーターを操作したいと思った。
続いて、学科の授業。これまで道交法をきちんと学んだ事のない身としては、色々と新鮮だった。同時に、このような知識は、免許取得者のみならず、道路交通をする全ての人が知るべきでは、と思った。
そして、次の実技の授業で、ついに本物の自動車に乗る。
ちなみに、オートマ限定にした。値段も安いし、覚えることも少なかったからだ。
一回目なので、指導員の説明を受けるのがほとんどだった。
また、運転席からの外の見え方・死角・タイヤの位置の感じ方などを教わる。
このあたり、理屈では何を言っているのか分かるのだが、感覚的にはピンとこない。
こういのは、若い人なら、短時間で理解できるのだろうな、などと思った。
そのあと、実際に運転してみる。とりあえず、ハンドルを回したら、車の向きが変わった。
とりあえず、それだけでも達成感があった。とはいえ、前途は多難だと改めて思った。
3.第一段階で5時間オーバー
学科の方はまあまあ順調に進んだ。
全ての授業を受ける前から、仮免試験用の問題集で九割の正解率が出せるようになった。
しかしながら、実技のほうは全然ダメだった。
まず、ハンドルの回し方でさんざんダメ出しを食らう。
あと、ブレーキがどうしても自然にかからず、「急ブレーキ」になってしまう。このあたりの力の入れ加減がなかなか理解できなかった。
また、最初の頃、よく言われたのが「行きたいところを見る」という事だった。しかしながら、こちらはどうしても、目の前だけ見てしまう。
指導員がそういうのだから、それが正しい、という事は頭では理解している。しかしながら、どうしても不安で目の前を見てしまうのだった。
それらの課題は解決しきっていないが、一応、少しずつ授業内容はレベルアップしていく。
そして、安全確認という項目が入ってきた。
右折や左折の際に、まずミラーを見て、後続車を確認してウインカーをつける。さらに、目視もしてからハンドルを切って進路を変える。そして、交差点に着いたら、再度確認したうえで、実際に曲がる、という一連の動作だ。特に、左折時には「巻き込み防止」のため、しっかりとした目視が必要と言われた。
しかし、こちらはまだ曲がるという操作だけで苦労しているのだ。ミラーや脇を見ている余裕など実際にはない。
とはいえ、それをやらないと次の授業に進めない。それで、実際に何が見えているかなど考えずに、ミラーを見たり目視をする動作をしていた。
ちなみに、実際にミラーにどのような位置にいる車が映るか、というのを理解できたのは、第二段階で路上に出るようになってからだった。
さらに、「切り返し」だの「やりなおし」だの「直角バック」だの「S字クランク」など段々と複雑な操作が要求されていく。
このあたりでは、かなり理解できないことがあった。
当然ながら、なかなか指導員のハンコはもらえない。
このあたりは、年齢も年齢だし、ある程度織り込み済みだった。
逆に、このあたりはじっくり時間をかけてでも、体に「運転」を馴染ませる必要があると思っていた。
とはいえ、思い通りに車が動いてくれず、同じことを言われ続けるのは厳しいものだ。
特に、ある日、行く予定だったのが、疲れなどもあって休んだ。
その後もキャンセル待ちに連続しておちる、などという事もあり、4日ほど車を運転しない期間が生じた。
そして、4日ぶりに乗ったら、ものの見事にガタガタだった。ある程度できるようになっていたつもりのカーブすらろくに曲がれなくなっていた。
指導員に感想を聞かれ、自ら「ひどいですね」と言ってしまったほどだった。
はっきり言って、この時点では、自分は本当に免許が取れるのか?とまで思ったものだった。
しかしながら、授業のほうは、少しずつ先に進むことができた。自分としては「全然うまくいかない」という意識が強いだけにちょっと意外でもあった。
まあ、自分では自信を持てていないが、じっくり繰り返す事により、少しずつ運転を体が覚えてきた、という事なのだろう。
そして、第一段階最後の授業である「見極め」に進んだ。これは、仮免試験の受験資格のテストみたいなものだ。
一度目はものの見事に落ちた。率直に言って、この時点で、この「見極め」を通るまでかなり時間がかかると思っていた。
ところが、二度目で意外にも「見極め合格。次は仮免試験ね」と言われた。これには我が事ながら驚いた。ちなみに、落ちることを前提に、次の教習も予約していたほどだった。
第一段階は12時間が標準だが、ここに至るまで17時間かかった。
4.仮免に一発合格し、自信がつく
そして、いよいよ仮免試験の日になった。
「見極め」に合格してから3日ほど間があいた。その間は一度も車に乗っていない。
最初に、試験ルールと「一発で不合格になる条件」の説明を受ける。
これが意外に厳しい。信号無視などは当然だが、「止まれ」の標識のある所で止まらなかったりすると、それだけで不合格確定となる。
その条件で一番怖かったのが「縁石に乗り上げて、そのまま進む」というものだった。
縁石に乗り上げるだけでは不合格にはならない。そこからバックして、切り返しかやり直しを行い、正しい経路を進めばいいわけだ。
ところが自分は、これまでの教習で、縁石に乗り上げたのに、指導員に言われるまで、それに気づかない、という事が一度ならずあった。
要は、まだ「縁石に乗り上げた」を感覚的に理解できていないのだ。
その状態のまま、仮免試験となる。通常の道は、まあまあこなせたと思った。
続いて、クランクを曲がる。途中、ちょっと嫌な感触があったような気がした。
しかし、「乗り上げてないはずだ」と思い、そのまま曲がった。
その場で「検定中止」と言われるかも、と思ったが、幸い、そのような事はなかった。
そして、一度部屋に集められ、事務所のパソコン画面での「合格発表」を見に行かされる。
かなり不安だったが、自分の番号があった。本当かと思い、一度部屋に戻ってから、再度見に行ったほどだった。
次は筆記試験。こちらはちょっと自信がある。そして、発表を見る。今度も番号はあった。
ちなみに、実技でも筆記でも全員合格ではなかった。
落ちた人には申し訳ないが、とりあえず、自分はお情けで合格したわけではない、という事がわかった。それを含め、少し自信がついた。
5.これまでよりは順調に路上をこなす
というわけで、仮免を取得し、第二段階に進んだ。
最初の授業は、車のメンテナンスと、「危険な運転の例」を教習所内で受講した。
そして、次からいよいよ路上教習となった。
幸い、津田沼自動車教習所の路上教習ルート第一弾は、途中まで、自分の職場と教習所を結ぶ道路だった。この道は、路線バス・教習所の送迎バス・自転車・徒歩で昔から何度も通っている。それだけに、かなり気楽に「初の路上」をスタートできた。
当たり前だが、初めて公道を自動車で走るわけである。最初の2回くらいは、かなり指導員に辛口の批評をもらった。とはいえ、第一段階の時とは違い、合格印はもらえた。
もちろん、公道を走るにあたってのルール、教習所内との違いなど、いろいろ困ったり、慌てたりした事はあった。
特に、自動車の走る位置の調整、というのはかなり苦労した課題だった。
しかし、第一段階の「自然にブレーキがかけられない」「思うように自動車が曲がってくれない」の頃に比べれば、苦労は大幅に削減されていた。
緩いカーブをブレーキを踏まずに、自然走れた時は、「自分がこんな事ができるようになるとは」と驚いたものだった。
ちなみにそれを感じたのは12月19日だった。ちょうど入校して1ヶ月目の事だった。
そこからも、足踏み無しで順調に行程をこなしていった。
やはり、第一段階で同じことを繰り返して習い、それをだんだんと体で覚えていったのが大きかったようだ。
こうなると、当初は無理かと思っていた年内合格が視野に入ってきた。
なかなか予約が取りにくい高速教習が、希望日の前夜にキャンセルがあり、それをネット予約で取れるなど、幸運も見方した。
この頃は、このようなキャンセル狙いや学科の問題集を解くために、一日に10回以上は教習所のサイトを見ていた。
そして高速道路で富里まで走る。時速100キロで自分が高速道路で運転している、というのはちょっと感動があった。
また、苦手だった車の位置調整も、料金所の発券機や係員の隣にぴったり止められるなど、上達を実感することができた。
とはいえ、やはり時速100キロで走るのは怖かったが…。
その後、卒業検定の課題でもある、縦列駐車と方向転換を行う。
この縦列駐車は、相方が28年前に免許を取得した際、かなり苦労したそうだ。そのため、自動車教習所入校前からさんざん脅かされていた。
もっとも、指導員によると、実際に路上でやる機会はそうはないそうだ。その言葉に安心しながら、苦労して自動車をバックさせたりハンドルを目一杯切ったり戻したりしていた。
6.最後の見極め、そして卒業検定
そしてついに、第二段階の「見極め」になった。これに合格すれば、卒業検定を受けるき事ができる。
なお、学科については、第一段階同様、問題なくこなしていた。
第一段階の時は、一度目の見極めで当然のごとく落ち、二度目の見極めの際も、落ちることを前提に、次の予約を入れていたほどだった。
しかし、今回はその時とは違う。この12月26日の見極めに合格すれば、翌27日の卒業検定、さらには28日の免許センターでの試験を受けることができる。
免許センターは28日が仕事納めなので、このスケジュールなら、年内に免許を取得できる。
もちろん不安はあったが、このスケジュールで免許を取得するつもりでいた。
第一段階の見極めがわずか15日前だった事を考えると、なんか隔世の感があった。
幸運にも、見極めの担当となった指導員は、自分にとって1・2を争うほど運転のしやすい人だった。
とくにこの人は、第二段階の最初の頃に、「このペースなら年内に免許が取れますね」と言ってもらった。それは大きな自信になったものだった。
実際、あの一言がなければ、このペースで進むことができたのだろうか、と感謝している。
というわけで、あまりプレッシャーを感じずに、見極めを受け、ハンコを貰うことができた。
そして、翌日の卒業検定を迎えた。
三人ずつ組になって路上走行並びに「方向転換か縦列駐車」を行い、同じ指導員に採点されるという仕組みになっている。
運悪く、自分の受験番号は1番だった。つまり、他の人の運転を見ることができないわけだ。
これはちょっとしたプレッシャーになった。
こちらも、仮免許の試験と同じく、一定以上減点になると、その場で不合格となる。
ちなみに相方は28年前、自分の前に受験した人が一時停止違反で即不合格となったとのことだった。
その話を思い出しながら、運転を始める。
途中、下り坂で制限速度をオーバーしたり、最後の駐車をする際に、指示された場所を間違えた上に、ハザードランプをつけ忘れる、などというミスがあった。
ただ、検定中止にならなかったので、何とかなっている、と自分に言い聞かせた。
その後、教習所に戻り、今度は方向転換のテスト。
何とかバックで収めることができたが、出るときに縁石に乗り上げてしまった。
このまま進んでしまえば不合格だ。しかし、やりなおせばいいという事はあらかじめ聞かされていた。
そしてバックして元の位置に戻り、今度は正しい場所でハンドルを切り、無事、方向転換も終了した。
縁石に乗り上げた時も、意外に冷静だった。「仮免試験の頃は、縁石に乗り上げたかどうかがわからなかったが、今では分かるようになったのだな」などと思ってもいた。
そして、仮免の時と同じ形での合格発表があった。自分の番号を確認する。今度は仮免の時のように、「再度見に行く」という事はしなかった。
その後、卒業式がある。主な内容は、免許センターで行われる免許試験の説明だった。
7.思わぬ「難敵」に苦労するも、ついに免許取得
翌日、運転免許センターに行く。
幕張本郷に住む自分としては、バス停まで徒歩5分、さらにそこからバスで5分だ。
18年前にここに住み始めてから、何百回も通った「近所の施設」である。
しかし、実は千葉県には免許センターはここと流山にしかなく、房総半島の端や、九十九里浜の向こうに住んでいる人も、免許の取得や更新にははるばるここまで来る、という事を今回知り、驚いた。
8時半から受付開始ということで、その時刻に来たのだが、すでに免許センター内には長大な列が何本もできていた。
訳のわからないまま、取得のための費用を払い、続いて書類の受付行列に並ぶ。
ところが、教習所で渡された申込用紙などの他に、免許センター内で配布されている「質問票」なるものを書く必要があるとのことだった。
それを取るために一度、さらには日付を書き間違えたためにもう一度、列に並び直す羽目になった。
その結果、受付が完了した時は、締め切りである9時を過ぎていた。
公的機関なので、「まさか9時を過ぎたら並んでいても受付終了?」と一瞬不安になったが、さすがにそれはなかった。
ただ、余裕を持って免許を取得するためにも、8時半ではなく、もっと早い時刻に免許センターに入るべきだった、と思った。
筆者のように、年内最後の日に取得するのなら、8時くらいに来てちょうどいいのかもしれない。
そして二階の試験室に上がり、マークシート式の学科試験を受ける。
渡された鉛筆の芯が折れており、交換をお願いした。非常に幸先が悪い。
もっとも、試験問題は、これまで教習所の問題集でやっていたのと同じだった。そのため、問題自体で苦労することはなかった。
筆記試験が10時45分くらいに終了する。試験官は、11時…いや11時5分くらいに合格発表します。と言って去っていった。
しかし、予定の11時5分になっても発表されない。年末最後で、それだけ受験者が多かった、という事なのだろう。
結局、発表されたのは11時35分だった。
自分の番号はあったが、予想以上に不合格者が多く、驚いた。
もしかしたら、教習所卒業とこの試験までに間を空けてしまい、学んだことを忘れてしまったのだろうか、と思った。
実際、自分も試験用に学んだ「二輪車でぬかるみで走るときどうすればいいか」とか「雨の日に二輪車のブレーキをかけるとき、前輪と後輪のどちらを強くかけるか」んどと言った問題を、一ヶ月後に正解を出す自信はない。
それはともかく、続いて、視力検査・書類提出・写真撮影などを経て、やっと免許の交付となった。
ちなみにこの日の受験者は440名ほどだった。350人以上は合格していたと思うから、それだけの人数の視力検査と写真撮影をやったわけである。
視力検査については、実技同様、「教習所を卒業していれば免除」でいいのでは、とも思った。何か事情があるのだろうか。
そして、13時半頃、ついに免許証を手にすることができた。
教習所に入ってから、1ヶ月と9日が経過していた。また、かかった費用は、30万3千円ほどだった。よく「年齢×1万円」が取得費用の相場、と言われる。それを考えれば、かなり上手く行ったと言っていいと思う。
そこそこ順調にいった原因の一つは、時間の余裕だ。ちょうど、仕事の変わり目という事もあり、教習所通いにかなり時間を割くことができた。
また、第一段階の最初のほうで、何度失敗しても「自分の年齢ならびに物を覚え方を考えればこれは仕方ない。ゆっくり体に運転を馴染ませよう」と思い、焦らなかったのも良かったかも、と思っている。
いずれにせよ、免許を取ったというのは出発点でしかない。これからの運転生活において、安全運転ができるよう、何とか頑張っていきたいものである。
最後になるが、丁寧な授業をやってくれた指導員さんたち、親切に接してくれた受付の方々、色々と話しかけてくれて緊張を解いてくれた送迎バス運転手の方々により、気持よく運転免許取得させてくれた、津田沼自動車教習所には、深く感謝している。