ホモ映画館の中では・・・

(「行きそで行かないとこへ行こう」より)

 著者の大槻氏は、少年時代から映画を愛好していた。一般映画のみならず、多くのエロ映画も見て、その「エロ」の奥に秘められた作り手の意図を読み取ったりもしていた。そんな著者が、エロ映画の中でもさらに希少な「ホモ映画」を見に行き、その特殊な世界に驚く、という話である。
 そのあたりの映画論も面白いのだが、筆者がこの一文を忘れられないのは、その中で紹介されたホモ映画「バナナボーイ」の紹介にある。大槻氏はその作品をボロクソにこき降ろしているのだが、その表現が秀逸なのだ。

 この「バナナボーイ」というのは、しがない旅芸人だが、仕事先で男に手を出して、干されてしまい、常に生活に困っている。ただ、故郷でラーメン屋をやっている妹が心配、という設定で、なんでもこれは「寅さん」のホモバージョンだそうだ。
 で、そのバナナボーイが何をやるかと言うと、空腹で山道を歩いていて、道ばたに生えている竹をチクワと見間違え、「あ、チクワが生えてるぅー」と喜び勇んで食べようとして歯を痛める、というような感じの「ギャグ」である。
 この部分についての大槻氏の描写は以下のようになっている。

 チクワが生えるものなのかどうか、あえてここでは問うまい。ともかく彼は狂喜し、ウヒョヒョー! と奇声を発してチクワをむんずとつかむのだ。そして、パクつこうとした瞬間、またしても。
 ボーンヨヨヨーン!
 またしても、運命のズッコケ音が響き、チクワはアッという間に原子構造を化学変化させ、異なる物へとその姿を変えたのであった。
 「ウヒョー、こりゃ竹じゃないのー、勘弁してよー」
 だから勘弁してほしいのはこっちじゃ!

 確かに、「道ばたに生えている竹をチクワと誤認して、食いついたとたん、ボーヨヨヨンと音がして、誤解に気付く」というのは、小学校低学年向け漫画でもボツをくらいそうなベタなギャグである。
 その安易さに、大槻氏は呆れ果てて、ボロクソにけなすわけだ。ところが、皮肉にも、そのけなす表現が面白すぎて、読む方には、バナナボーイの珍道中までが面白く思えてしまうのである。
 特に、「チクワがアッという間に原子構造を化学変化」という表現は、読んでいて、チクワが物質変換を遂げるような、SF的映像を想像してしまった。
 しかし、ホモ映画である以上、そのような「化石ギャグ(大槻氏談)」ばかりやっているわけにはいかない。というわけで、「男同士のからみ」描写の説明もあるのだが、これまた驚かされる。
 なぜかバナナボーイが歩いていると、ビッグ=トムなる外人が道を尋ねてくる。すると、バナナボーイは「オー、ホテルねー!」と返答して、そのまま二人でホテルに行き、行為が始まるらしい。これには、数年前にネットでブームを起こした「通りがかりの少年に、唐突に『やらないか』と声をかけて行為が始まる」というホモ漫画もびっくりだろう。
 この珍道中(?)は、それまでのギャグ同様、ベタなギャグで終わる。バナナボーイが旅に出たのを、故郷の家族達が心配し、その噂に反応(?)して、バナナボーイがクシャミをする、というオチだ。
 これについて、大槻氏は「あなたの家のおじいさんが、『モボ』と言われていた時代の化石ギャグである」と酷評している。おかげで、このベタなオチが、急に「大正ロマン」を感じさせるものになってしまった。

 作品の主題は、この後に上映される、「作り手の意図が伝わってくるホモ映画作品」および、「この映画館が持つ真の存在意義」である。実際に、この後に展開される、それらについての描写は興味深いものがある。
 しかしながら、筆者にとっては、前座である「バナナボーイ」のくだらなさをこき下ろす描写が、最も印象に残ってしまった。おかげで、初めて読んでから10年くらい経った今でも「バナナボーイ」のあらすじをそらで言えるほどである。