1986年の京葉線

2006/09/02

 20年前、高校2年の夏休みの事だった。休みを利用して青春18きっぷで旅行したのだが、1枚余り、そのまま8月31日になった。有効期限は9月5日くらいまであるが、明日から学校なので、今日使わないと、ただの紙切れになってしまう。
 そこで、日帰りでどこか行こうと思って路線図を見ていた。その時目に入ったのが、この年の3月に旅客営業を開始したばかりの、京葉線・西船橋−千葉港間(当時・現在は千葉みなと)だった。

 そこで、国電(当時)を乗り継いで西船橋駅へ向かった。案内にしたがって「京葉線ホーム」に行くと、そこは武蔵野線ホームの一部だった。そして、やってきた電車は他線から転属してきた103系だった。駅といい、電車と言い、「新線」という印象はまったくもって感じられなかった。
 発車時刻になっても、4両くらいの車内はほとんど客がいなかった。平日の昼間とはいえ、あまりのガラガラぶりに驚いたが、その後、理由はすぐわかる。
 発車前に改めて路線図を見る。駅名は「南船橋」「新習志野」「海浜幕張」「検見川浜」「稲毛海岸」「千葉みなと」。要は、総武線の駅に何らかの接頭語・接尾語をつけただけだ。つまるところ、確立した地名はない、という事なのだろう。
 一応、全て異なる接頭語・接尾語をつけているが、別に全部「南○○」でもかまわないような感じだ。あと、余談だが「津田沼」に対応する駅を「新習志野」にしたのは、既に「新津田沼」があったためだろう。しかし、おかげで、新京成線に存在する元祖「習志野」と「新習志野」は全然関連性のない駅となってしまった。
 そんな事を思いながら、開業半年の京葉線の車窓を見る。そしてそのあまりにも何もない車窓風景に驚かされた。駅間はもちろんのこと、駅の周囲にもほとんど何も存在しない。あるのは草ぼうぼうの空き地のみだ。もちろん、日本の土地である以上、何らかの地名がついているのだろう。しかし、これだけ何もなければ地名がないのも同じだ。なるほど、これなら駅名が全て総武線の駅名に接頭語・接尾語をつけたものになるのは無理もない。
 駅名のわりには、沿線に海が見える事もほとんどなく、ほとんど車窓風景が変わらないまま、終点の千葉港駅に着いた。改札を出ると千葉駅行きのバスが止まっていた。20分弱とはいえ、何もないところを見続けていただけに、「駅前広場とバスがある」というだけで文明社会に戻ったような気分になってしまった。そして、そのバスに乗って10分弱で千葉駅前に着いたときは、いきなり大都会に戻ってきたような気分を味わったものだった。

 その後、京葉線は新木場、さらには東京まで延伸された。また、快速、さらには特急まで走るなど、時とともに幹線化していった。それに伴って沿線の開発も進み、特に「幕張新都心」と名付けられた海浜幕張駅周辺は、高層のオフィスビル・ホテルが林立する「都会」にまでなり、それに伴ってかつての周囲に何もない小駅だった海浜幕張駅は、特急停車駅にまで「昇格」した。
 もっとも、その大発展した「幕張新都心」ですら、今でもちょっとビル街から外れると広大な空き地が広がっている。それを見ていると、空き地しかなかった20年前の京葉線沿線を思い出したりする。