海にそびえる白い富士

2004/1/2

 12年前の2月末に、礼文島に行った。まず鉄道で稚内まで行き、駅前旅館に泊まる。翌朝のフェリーは朝7時頃だ。まだ夜明けという雰囲気の稚内の町を港まで歩く。港のあたりでは、「今日は○○のイベントがあるよ、先にそちらを見に行かない?島は逃げないよ」という呼び込み(?)がうるさかった。
 もちろんそんな呼び込みは相手にせず、予定通り礼文行きの船に乗る。席は二等船室だが、空いており、ごろ寝もできる。目覚めが早かったこともあり、出港後しばらくして、眠くなった。
 どのくらい眠っていたかわからないが、目が覚めた。まだ、船は海の上だ。何気なく外を見る。すると、目の前に真っ白な富士山が見えた。朝日を受けて雪が光っている。
 もちろん、礼文島の隣には利尻島があり、そこには「利尻富士」の異名を持つ「利尻山」という山がある事は知識としては知っていた。したがって、礼文島に行く途中に利尻島があって「利尻富士」が見えるのは当然だ。しかし、その全体を雪に覆われ、朝日を受けて、海上にそびえている山には、その程度の予備知識では想像し得ないほどの美しさだった。
 おそらく、これが稚内からずっと起きていて、遠くに見えてきた利尻島がだんだんと大きくなっていく、という感じで見ていたら、これほどの衝撃はなかった。ある意味、居眠りがここまでの強烈な印象を生み出したとも言える。

 これだけでも十分船に乗った価値があるな、と思いながら礼文島に着いた。まだ午前中だが、港では宿の呼び込みの人がいた。同じ呼び込みでも、先刻の稚内の人ほど図々しさがなかった。また、車で島の案内をしてくれる、と言った事もあり、その中の一人のおじさんの車に乗った。事前の予定ではバスでまわる予定だったが、本数が少なくて閉口していたので、思わぬ予定変更ができ、幸運だった。
 宿は民宿で、島の南の知床というところにあった。「知床」の由来は、アイヌ語の「シリエトク」−地の果て−を意味、というだけあって、確かに礼文島のはずれだ。しかし、知床半島のような最果て感などはない、普通の漁村だった。
 とりあえず、荷物を置いて、さっそく島を案内してもらう。といっても礼文島の観光名所である、高山植物の咲く西海岸のハイキングコースや、島全体が展望できる「桃岩」は、この雪に覆われた季節には見ることも行く事もできない。したがって行くところは限られる。そこで、島の最北端である「スコトン岬」を案内してもらうことにした。
 民宿は島の南端近くにあるので、ほぼ島を縦断する形になる。道は整備されているので、比較的快適なドライブである。
 途中、昆布か何かを干してある家の前でいきなり車が止まった。もちろん、観光名所などではない。そして宿の主人はその家の人に何か言っている。どうやら、漁業組合の規定に抵触しているのでは、みたいな感じのクレームのようだ。しかし、なんらかの正当な理由があったようで、すぐに引き上げた。このような事は、バスでは絶対見る事ができない。そういう意味でも、港で呼び込みに応じたのは正解だったと言えるだろう。
 目的地のスコトン岬は普通の岬だった。海の向こうにはトド島という無人島が見える。また、「日本最北限の地」という微妙な表現の碑が立っていた。礼文島は稚内の西南にあるため、礼文島の北端は、北海道の北端である宗谷岬よりほんのわずかだが南にある。両地点の緯度の差は1分(約1.8km)しかないから、惜しいところで「日本最北端の地」を逃したわけだ。この1.8kmが逆だったら、礼文島に来る観光客数はかなり変わっていただろう。その悔しさ(?)がこの「最北限」という言葉に表れているのだろうか。筆者は宗谷岬には行った事はないが、あの巨大な「最北端の塔」の写真を見る限りでは、こちらのほうが確かに「北限」とは言えそうな感じだ。(※なお、正確には宗谷岬の沖の弁天島が最北端。さらに現在の日本政府の主張に基づくと、本当の最北端は択捉島のカムイワッカ岬になる)。
 というわけで、スコトン岬で一休みした後、車はもとの道を戻った。さすがにずっと車に乗っているのでは味気ないので、午後はバスに乗る事にし、港のある香深で降ろしてもらった。
 バスターミナルの所には、資料館みたいなものがあり、入口には立派なトドの剥製なども飾ってあった。それらを見て時間をつぶしたあと、「元地」行きのバスが来た。このバスは島を横断し、西側まで行く。終点で降りて、海岸をしばらく歩くと、「地蔵岩」という観光名所があった。この「地蔵岩」とは、海岸にそびえる50メートルほどの高さの薄い岩だ。侵食の関係からこうなったのだろうか。なかなか奇妙な風景だったが、周囲がゴミで汚れていたのが残念だった。
 バスは元地に着いてすぐ引き返したため、帰りは歩いた。まあ、バスで15分ほどのところなので、歩いてもたいした距離はない。走る車もほとんどなかった。途中、トンネルがあり、一ヶ所水が湧いていた。しかし、湧くそばから凍るため、氷のかたまりみたいになっていたのが面白かった。
 こうして、礼文島を散策し、夕方のバスで民宿に戻った。部屋からは利尻島がよく見えた。夕日に映える利尻富士は、朝ほどの衝撃こそなかったものの、やはり美しかった。

 翌日は特に何も見ず、飛行機を使って帰った。礼文空港からの飛行機は、マイクロバスより狭い9人乗りだった。今度は20分で稚内に着き、さらにそこから札幌(丘珠空港)行きに乗り換える。すると、あわせて2時間もかからずに、離島の礼文から百万都市・札幌に移動することができた。当時は飛行機に乗り慣れていなかった事もあり、その変化の激しさに慣れるのには少々時間がかかったものだった。
(※なお、利尻・礼文島への空路は2003年4月に運行休止になった)