2002年12月後半のつれづれの日々(更新情報)
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2002/12/31
 というわけで、2002年も終わりました。いくつか、新しいものに出会うことができた、という点では収穫があった年でした。しかしながら、全体的にはあまり満足できた年とは言えませんでした。来年こそは、振り返った時に満足できるよう、何かを得る年にしたいものです。
2002/12/30 旅行記と地元ネタを更新しました。
 津田沼駅前の献血センターに夕方行きました。受付終了時刻ギリギリで、終わった時は他にはもう誰もいませんでした。普段なら終わった後は待合室でお茶を飲みながら30分くらいのんびりするのですが、さすがに他に誰もいない待合室というのは非常に落ち着かないもので、早く出ようとして係員に「もう少し座っていてください」と言われたほどでした。。ちなみに入り口には「成分献血は受付終了1時間前まで」と書いてあったのですが、入ったら向こうから「成分献血で」と言ってきました。輸血用血液の不足もかなり深刻なのでしょうか。
2002/12/29 絵画館を更新しました。
 コミケの企業ブースに行ったら、講談社や小学館が自社の作家さんを使って同人誌風の本を出していました。ここまで来ると、何が「商業」で何が「同人」なのか定義のしようがありません。漫画のボーダーレス化はこのようにどんどん進んでいくのでしょうね。まあ、面白い作品さえ読めれば、発行の形態なんかはどうでもいいのですが。
2002/12/28
 今日は仕事納めでした。と言っても始業30分前に出勤して、普通に仕事をこなして、大掃除して、年末の打ち上げも出ずに仕事して、なんとか13時半ころに退社してコミケに行っただけなので、ただ単に「やけにバタバタした日」でしかありませんでしたが。いずれにせよ、向こう1週間は仕事に行かない、というのは嬉しいことです。
2002/12/27 トップページのタイトルと配色を、クリスマス模様から冬模様に変えました。
 売買春仲介サイト(いわゆる「出会い系サイト」)で18歳未満の書き込みを禁止する事をサイト運営者に義務付ける規制ができるそうです。Googleで「出会い 援助」で検索すると六番目に来るページを運営している身としては、見過ごすことができない話です。まあ、規制をかければ少しは減るかもしれませんが、年齢を偽るなどの単純な抜け道が多くて、たいした効果は期待できません。だいたい、18歳以上が行ってもでも売買春である事には変わりはないのだから、年齢制限をかける事は抜本的な解決にはなってないように思えます。繰り返しになりますが、「出会い」だの「援助交際」だのといった売買春をするのに抵抗の少ない言葉をメディアが使い続ける間は、問題の解決は難しいのではないでしょうか。それにしても、21世紀になって目だって栄えている「産業」がサラ金と売買春という状態を見ると、本当に我が国の先行きが暗いと思います。
2002/12/26
 自民党の新派閥ほどにも話題にならない「保守新党」が昨日結成(?)されました。結成のニュースを知った時は「保守新党」というのは便宜上使っている仮の名前で、25日の結党会見で正式名称を発表するのだろうと思っていたのですが、本当にこの名前だったので驚きました。次に離合集散をやるときは、ぜひ「保守新新党」とでも名乗ってほしいものです。
2002/12/25
 車内吊りで首都圏各所の神社が初詣の広告を出していました。インターネット時代らしく、神社の名前・交通案内の他にURLも掲載されていました。たいていの神社は「or.jp」で独自ドメインを取っていましたが、一部の神社は「comやnet」で取っているところもありました。グローバルドメインでは「org」が非営利団体を意味しています。しかし、それを取っている神社はありませんでした。まあ、ある意味「当神社は実際は営利団体なんですよ」という事を明示していていいのかもしれません。ドメインを取った人はおそらく何も考えていなかったとは思いますが。
2002/12/24
 嫁さんと「クリスマスディナー」を食べました。結婚前の年から毎年やっているので、今回は6回目になります。さすがにそのくらいになると、「クリスマスイブ」だからといって、とりたて特別なことはなく。席上での主な話題は「軍人将棋のルールおよび『人間軍人将棋』をやるとしたらどうやればいいか」というロマンチックとは一万光年離れたような会話でした。まあ、しかしそれはそれでいいのでは、と思っています。安くて美味だったカプリチョーザのメニューを楽しみながらそんな会話をし、その後衝動的に「あずまんが大王」を4冊購入して家路につきました。
2002/12/23
 昨日から今朝にかけて関西にいました。食事のメニューはたこ焼き・きつねうどん・阪神百貨店のイカ焼き(小麦粉にイカを入れて焼いたもの)・ジャンボソフトクリームと、関西名物(?)を満喫しました。旅先では、そこの名物を食べないとえらく損したような気になります。これも一種の貧乏性と言えるのかもしれません。
 余談ですが、これは早朝の難波の漫画喫茶で書いています。当「つれづれの館」では開設以来初の「出先からの更新」となりました。
2002/12/22 漫画図書館を更新しました。
 FA宣言をしていたバファローズの中村選手が残留を決めました。前日まで大リーグのメッツ入りをほぼ確定させており、実際に21日の一般紙を見ると、「今日の主な記事」のトップにカラー写真つきで「メッツ入り」を報じた毎日新聞を筆頭に、「メッツ入り」を大きく報じたのが多数見受けられました。
 それが大逆転残留となったのがメッツの公式サイトに事前に「入団」と掲載されたのに中村選手が不信感を抱いたのが原因だそうです。結果論からするとメッツの広報・サイト運営の失敗と言えるでしょう。しかしながら、先方の気持ちもなんとなく分かります。仮に公式サイトの掲載がマスコミの発表より遅れれば「なんで公式なのによそより遅いんだ」と内外からクレームがついたことしょう。そのようなプレッシャーもあり、十分な確認をせずに発表してしまったのではないかと推測しています。早すぎてもだめ、遅すぎてもだめなのですから、担当者にとしては大変な話です。
2002/12/21
 職場にBフレッツビジネスが入りました。もっとも社内LANの関係で最大10Mbpsしか出ませんが。いずれにせよ、それまでが128kbpsだったので、相当早く感じました。実際どのくらい出ているのかと計測サイトで計ってみたら、4〜5Mbps出ていました。最初「家より1Mbpsほど早いだけか、たいした差はないな」などと思いました。しかし、冷静に考えてみれば1Mbpsというのは相当な数字です。それを「微差」などと感じるのですから、我ながら贅沢になったものだ、と呆れました。1年前の今頃は自宅が200kbpsで職場が128kbps、2年半前まで遡れば自宅が56kbpsで職場は33kbps(数値はいずれも実効速度)だったのですから。それにしてもブロードバンドの進展は目覚しいものがあります。2年もたつと、家庭でのGbps単位での接続が普通になっているかもしれません。
2002/12/20
 赤坂アークヒルズにある東京全日空ホテルには仕事で何度か行く機会がありました。案内には「南北線溜池山王駅13番出口より徒歩1分」と書いてあるのですが、南北線の駅から13番出口に行くまで10分近く歩かされます。なんかもっと効率のいい行き方はないかと思って、公式サイトを見てみたら、「南北線六本木一丁目駅3番出口より徒歩2分」とも書いてありました。こちらは乗換駅ではないので、改札から出口は、溜池山王ほどはかからなそうです。それにしても、この公式サイトの案内を書いた人は「これだと南北線の溜池山王から六本木一丁目まで歩いて3分と読めてしまう」とか思わなかったのでしょうか。地下鉄の駅からの所要時間を記載するときは、出口からでなく各線の改札からの所要時間を書いてほしいものです。
2002/12/19 電算室を更新しました。
 本日の更新分は実は内容の5割くらいは4月半ばに書いていました。ところが、仕上げる前に別の事が書きたくなり、先延ばししているうちに、ここまでずれ込みました。したがって、見本として使用しているデータも、4月半ばのタイガース快進撃時のものです。この頃登板していた星野・遠山両投手は引退、バルデス投手はドラゴンズへ移籍しました。8ヶ月前とはいえ、なんか遠い昔のような感じです。ページ更新を先延ばしするとどうなるかを、身をもって味わってしまいました。
2002/12/18
 ドイツのコンピュータソフト会社にSAPという名前の会社があります。会社のサイトを見ると「エスエイピー」と読むようですが、私は勝手に「サップ」と読んでいました。おかげでプロレスラーのサップ選手の記事を読むたびに、いつもこの会社の事を連想してしまいます。ついでに、企業に対するイメージも、勝手にサップ選手にダブらせています。
2002/12/17
 しょうもない事で精神的な疲れをためて帰宅したら、妹からメールが入っていました。その内容は私の笑いのツボにぴったりはまるような内容でした。あまりに面白かったので電話をし、しょうもない事から仕事のことまで、色々と話し込みました。話し終わったら精神的な疲れもどこかに行っていました。兄弟姉妹の有難さをつくづく実感しました。
2002/12/16
 電車の網棚にあったヤングジャンプを読んでいたら、「キャプテン翼」のライバルキャラのブラジル人選手の幼少時のエピソードが描かれていました。なんでも、毎日50kmの道のりを兄と一緒に通学していたのですが、兄は普通に走るのに対して、ライバルキャラはドリブルしながら走り、兄より速かったそうです。かつて翼が中学時代に市内のライバルである新田や浦部がいた中学の連中が、「俺たちは毎朝50km走っているんだ」と自慢していました。三つ子の魂百までではないでしょうが、高橋陽一氏は、毎日走る距離のすごさを表すのにはいつでも50kmを使うんだな、などと思いました。それにしても、新田や浦部のいる中学校の名前は忘れても、「毎朝50km走る」という事はなぜいまだに覚えているのか、自分の記憶の仕組みが不思議でなりません。やはり突っ込みどころが多すぎる設定だからなのでしょうか。




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