30日は宿泊先のリゾートホテルで海水浴などをしてのんびりと過ごした。そして翌31日は再び、小型ワゴンのレンタカーでドライブをした。
まず、土産物を買うために「沖縄工芸村」というガラス工場に併設された土産物屋へ行く。売っているのはガラス製品がほとんどだが、なぜか100万円の金の杯だの、250万円の亀なども売っていた。ここで、土産を買って、名護に向かって出発したのだが、そこで一つの喜劇が発生した。
そろそろ名護市内、というところで、一人が何の気なしに振り返った。すると、なんと小型ワゴンの後部のドアが開いているのだ。どうやら、工芸村で土産を積んだときに閉め忘れたらしい。
気づいた後は、お互い「どうも声が聞き取りにくいと思った」とか「やけに匂いが入ってくると思った」とか言っていたのだが、それにしても1時間近くその状態でドライブしていたのだからすごい。
気を取り直して名護市街から国営沖縄記念公園に向かう。山道の県道を走っていたら、いきなり「ゴーヤー園」なる看板が目に入った。ガイドブックはもちろん、地図にもない謎の施設である。たいした寄り道にもならないので、寄ってみることにした。
一応、土曜の日中なのだが、駐車場には車が数台しかない。「これは全部従業員の車で、もしかしたら観光客は我々だけかも」などと言っていたら、本当にそうだった。とりあえず、入口にゴーヤーのイメージキャラクターの飾ってあるビニールハウスの中で栽培されているゴーヤーを見て、ゴーヤー茶の無料試飲ができる建物に行く。そこには、色々なゴーヤーを使った料理・お菓子などが展示されていた。
最後に、「ゴーヤー茶製造工場見学」をする、見学順路があるのだが、「入口」と「出口」の距離がやけに近い。入ってみたら、「順路」はほんの10m程度で、左手にゴーヤー茶の製造過程が見える(といっても土曜のためか操業はしていない)だけ。あとは、出口の所でVTRが流しっぱなしになっていた。
とまあ、あらゆる点で、案内表示から細部に至るまで、観光客ウケしなさそうな作りなのだが、その点がかえって好感を持てた。ここまで「のほほん」とした観光スポット(?)に行ける機会は、一生のうちそうはないだろう。
思わぬ収穫を得た寄り道の後は、当初の目的地である国営沖縄記念公園に行った。ところが、このあたりで筆者は体調をガタガタに崩し、立っているのがやっとの状態になってしまった。そこで、ここでの記憶は朦朧としているのだが、植物館みたいな所の西表島の映像が良かったらしい。あと、この日は地元の中学生が遠足に来ていたのだが、そこで見る女の子達には「SPEED予備軍」と言うような系統の顔立ちの人が多かったらしい。
グロッキー状態だった筆者は、ほとんど寝ていた。横になれるところであれば、ベンチだろうと、「ノロの家」だろうとおかまいなしに寝ていた。そのまま、ナビを交代してもらって車の中でも寝つづけ、気が付いたら名護市内に戻っていた。
昼食時なので、ガイドブックにあった沖縄料理の食堂へ行く。とりあえず栄養を補給せねば、とダルい体を引きずって店に入る。入って席に座ったら麦茶が出てきた。とりあえず一息つこうと飲む・・・一口飲んで予想だにしなかった味に驚く。なんと、この茶色の液体は麦茶ではなく、砂糖のたっぷり入ったレモンティー(ペットボトルにありがちな味)だったのだ。
これには体調万全の面々も渋い顔をしていた。ましてや、半分KOされている筆者などはたまったものではない。店の方には大変無礼だったが、筆者だけそのまま店を出て、薬屋に直行してしまった。その後、筆者が口にできたのは薬とポカリスエットと爽健美茶だけだったため、この砂糖のたっぷり入ったレモンティーは、筆者が最後に口にした「沖縄独特の料理(?)」となってしまった。
その後、また意識を失い、次に目が覚めた時は糸満市だった。ここには、沖縄を代表する「観光地」の一つで、全国的にも有名な「ひめゆりの塔」がある。筆者は、半分もうろうとした頭で、「有名観光地に着いたな」程度のつもりで資料館に入った。
あらかじめ断っておくが、筆者はもともと、「反戦・平和主義」を自称している人間である。したがって、「沖縄戦」の凄惨さも十分認識していたつもりだった。しかし、この展示館に入った瞬間、筆者は自分の認識の甘さを心底思い知らされたのであった。
(ここでの感想を具体的に書くときりがないので、毒舌の間・ひめゆりの塔に別掲いたしました。興味のある方はそちらもご覧ください。)
「ひめゆりの塔」を出た後は一路那覇へ。中心街の入口あたりにレンタカーを止め、国際通りを散策した。筆者の体調は相変わらずで、いろいろな沖縄の食べ物の店を見ても食欲は一切感じなかった。ただ、日本蕎麦屋の前を通ったときだけは無性にもりそばを食べたくなった。
有名な公設市場で「豚の頭」などを見たあと、そろそろ時間なので駐車場に戻った。車に乗るちょっと前からポツポツと雨が降り出していたのだが、発車すると同時にものすごい土砂降りになった。なにせ、ワイパーをフルで動かしても、視界はほとんど確保できないのだ。つい数十分前までは晴れていたのだが…これも「沖縄ならでは」の一つなのだろう。
そして那覇空港から飛行機に乗り、職員旅行は終わった。
それにしても、ここまで「食」があわなかった旅行は初めてだった。香港や豪州のケアンズに行った時のほうがまだ自然に食事ができた。もともと筆者は泡盛が苦手で、自宅で飲んでひどい悪酔いをした事があるくらいだ。そういうのも含め、本質的に「食」の相性が良くないところだったのかもしれない。
今度は嫁さんと二人で行って、あの青い海をまた見て、さらに「戦争の傷痕」をより深く学びたい、という気持ちはある。その一方で、「もう二度と行きたくない」と胃袋のほうは叫んでいる。