沖縄旅行記

(1998/10/29〜31)

 
 

10月29日・海中道路と万座毛

 職員旅行で、秋の沖縄に行った。秋といってもこの時期の沖縄の日中の気温は28度、立派な夏である。到着して外に出るとすぐ、ムッとした暑さの出迎えを受けた。
 職員旅行と言っても、希望者は自由行動可能なので、空港ですぐ団体と別れ、仲間3人とレンタカーを借りる。そして、レンタカー店員に各所への時間の目安を教えてもらい、その結果まず海中道路に行くことにした。
 海中道路と言うと、なんか壁が透明な海底トンネルみたいだが、そんな大袈裟なものではない。「平安座島」という島と沖縄本島との間が遠浅になっているため、埋め立てて道路を作って島までの道を通したのだ。言うなれば「海の中道・人工版」とでもいったところか。ガイドブックには「左右に海を見ながらの晴れた日のドライブは快適」とあったので、行くことにした。
 レンタカー屋がくれた地図がそこそこ詳しかったので、海中道路への行き方もすぐに解った(と、この時は思っていた)。まず、高速に乗って「沖縄北インター」で降り、国道329号線を北上し具志川市へ。で、「栄野比交差点」で県道8号線に入った。地図には細かい事は書いていないが、どうやらこの8号線をずっと進めば海中道路に到達するようだ。
 8号線に入ったあたりで昼飯時になったので、道路沿いのステーキ屋に入った。入ったら店員が席だけは案内してくれたが、水はおろか、メニューももってこない。よく見ると、水差し数個とメニューが置いてあるカウンターがあったので、「もしかして水もメニューもセルフサービスか?」と思い、自分でメニューを取った。すると、店員が「すみません」と言って注文を取りにきたので、どうやら単に忘れていただけだったらしい。だが、水のほうは本当にセルフサービスだった。
 ステーキセットはテンダー200グラムで1400円とかなり安かったが、味も値段相応だった。まあ、何よりもメニューの印象ばかり強かったので、さほど記憶には残っていないのだが。

 あとは道を真っ直ぐ進むだけ、と気軽な気持ちで8号線を進んだ。頭の中には「とにかく8号線」という考えしかない。進んでいくうちに、左手に海が見えたので、「もうそろそろだな」などと思っていた。「海中道路」という道路標示が全然ないのはちょっと引っ掛かっていたが、「元は生活道路だから宣伝するようなものではないのだろう」などとさほど気にはしなかった。
 するといきなり、道路の真ん中に検問所みたいな施設が出現した。表示はすべて英語で、看板には「White Beach」とあり、「←U.S./→NAVY」などとも書いてある。そして、検問所からは米兵が出てきた。どうやら、どこかで道を間違えて、米軍基地へ突入しようとしてしまったらしい。

 あわてて引き返し、工事中の所があったので、作業している人に海中道路への道を聞く。どうやら、さほどひどい間違いはしていなかったようだ。教えられた通りに行って、集落を一つ越えたら、海中道路への交差点に到達した。
 苦労してたどりついた海中道路だが、残念ながら拡幅工事中で、景観の半分は工事車両だった。もちろん、海はとても美しかったが、「左右に海を見ながらドライブ」という期待はもろくも打ち砕かれたので残念だった。
 そのまま「平安座島」に渡り、さらに橋を渡って「浜比嘉島」に行った。文字通り「何もない島」で、海も空も澄んでいた。ただ、漁港の岸壁を歩いたら、空缶をはじめ、ゴミが目立っていた。釣り人のマナーなのか、よそで捨てたものが流れ着いたのかわからないが、「こんな所までゴミ問題はあるのだな」とちょっと興ざめしてしまった。
 岸壁の突端には蟹がたくさんいた。また、ヤドカリもいた。29年生きていたが、ヤドカリに触るのははじめての事だった。また、「ジャンプする蟹」というのも初めて見た。
 あまり時間もなかったので、「浜比嘉島」は入口を見ただけで引き返した。つぎの目的地は有名な観光地である万座毛である。今度は、自然に元の方角に戻るだけなので、間違える心配もなかった。とはいえやはり不安なので、途中のコンビニで地図を購入した。

 先ほど昼食を取った店の前を通り、「栄野比交差点」へ。そこでまた国道329号線に入って北上し、県道6号線に入った。途中見た広告に「2DK、家賃3万1千円」というのを見た時、物価の差をあらためて感じた。
 県道6号線から国道58号線に入り、しばらくして目的地の万座毛に着いた。駐車場には土産物屋もあり、順路を歩けば民族衣装を着た人に「写真取りませんか」と声をかけられる。全国どこにでもある「観光地」である。
 万座毛そのものは、断崖絶壁と侵食によって生じた奇岩など、とても印象に残る景勝だった。ただ、向かいに真っ白な観光ホテルが見えるのは興ざめだったが。
 海中道路も万座毛もそこそこ印象に残ったが、この日、最も心に焼き付いたのはやはり米軍基地に突入しそうになったことであった。それこそが、本土では実感できない「沖縄の現実」なのであろう。


 
 

10月31日・北部とひめゆりの塔

 30日は宿泊先のリゾートホテルで海水浴などをしてのんびりと過ごした。そして翌31日は再び、小型ワゴンのレンタカーでドライブをした。
 まず、土産物を買うために「沖縄工芸村」というガラス工場に併設された土産物屋へ行く。売っているのはガラス製品がほとんどだが、なぜか100万円の金の杯だの、250万円の亀なども売っていた。ここで、土産を買って、名護に向かって出発したのだが、そこで一つの喜劇が発生した。
 そろそろ名護市内、というところで、一人が何の気なしに振り返った。すると、なんと小型ワゴンの後部のドアが開いているのだ。どうやら、工芸村で土産を積んだときに閉め忘れたらしい。
 気づいた後は、お互い「どうも声が聞き取りにくいと思った」とか「やけに匂いが入ってくると思った」とか言っていたのだが、それにしても1時間近くその状態でドライブしていたのだからすごい。

 気を取り直して名護市街から国営沖縄記念公園に向かう。山道の県道を走っていたら、いきなり「ゴーヤー園」なる看板が目に入った。ガイドブックはもちろん、地図にもない謎の施設である。たいした寄り道にもならないので、寄ってみることにした。
 一応、土曜の日中なのだが、駐車場には車が数台しかない。「これは全部従業員の車で、もしかしたら観光客は我々だけかも」などと言っていたら、本当にそうだった。とりあえず、入口にゴーヤーのイメージキャラクターの飾ってあるビニールハウスの中で栽培されているゴーヤーを見て、ゴーヤー茶の無料試飲ができる建物に行く。そこには、色々なゴーヤーを使った料理・お菓子などが展示されていた。
 最後に、「ゴーヤー茶製造工場見学」をする、見学順路があるのだが、「入口」と「出口」の距離がやけに近い。入ってみたら、「順路」はほんの10m程度で、左手にゴーヤー茶の製造過程が見える(といっても土曜のためか操業はしていない)だけ。あとは、出口の所でVTRが流しっぱなしになっていた。
 とまあ、あらゆる点で、案内表示から細部に至るまで、観光客ウケしなさそうな作りなのだが、その点がかえって好感を持てた。ここまで「のほほん」とした観光スポット(?)に行ける機会は、一生のうちそうはないだろう。

 思わぬ収穫を得た寄り道の後は、当初の目的地である国営沖縄記念公園に行った。ところが、このあたりで筆者は体調をガタガタに崩し、立っているのがやっとの状態になってしまった。そこで、ここでの記憶は朦朧としているのだが、植物館みたいな所の西表島の映像が良かったらしい。あと、この日は地元の中学生が遠足に来ていたのだが、そこで見る女の子達には「SPEED予備軍」と言うような系統の顔立ちの人が多かったらしい。
 グロッキー状態だった筆者は、ほとんど寝ていた。横になれるところであれば、ベンチだろうと、「ノロの家」だろうとおかまいなしに寝ていた。そのまま、ナビを交代してもらって車の中でも寝つづけ、気が付いたら名護市内に戻っていた。
 昼食時なので、ガイドブックにあった沖縄料理の食堂へ行く。とりあえず栄養を補給せねば、とダルい体を引きずって店に入る。入って席に座ったら麦茶が出てきた。とりあえず一息つこうと飲む・・・一口飲んで予想だにしなかった味に驚く。なんと、この茶色の液体は麦茶ではなく、砂糖のたっぷり入ったレモンティー(ペットボトルにありがちな味)だったのだ。
 これには体調万全の面々も渋い顔をしていた。ましてや、半分KOされている筆者などはたまったものではない。店の方には大変無礼だったが、筆者だけそのまま店を出て、薬屋に直行してしまった。その後、筆者が口にできたのは薬とポカリスエットと爽健美茶だけだったため、この砂糖のたっぷり入ったレモンティーは、筆者が最後に口にした「沖縄独特の料理(?)」となってしまった。

 その後、また意識を失い、次に目が覚めた時は糸満市だった。ここには、沖縄を代表する「観光地」の一つで、全国的にも有名な「ひめゆりの塔」がある。筆者は、半分もうろうとした頭で、「有名観光地に着いたな」程度のつもりで資料館に入った。
 あらかじめ断っておくが、筆者はもともと、「反戦・平和主義」を自称している人間である。したがって、「沖縄戦」の凄惨さも十分認識していたつもりだった。しかし、この展示館に入った瞬間、筆者は自分の認識の甘さを心底思い知らされたのであった。

(ここでの感想を具体的に書くときりがないので、毒舌の間・ひめゆりの塔に別掲いたしました。興味のある方はそちらもご覧ください。)

 「ひめゆりの塔」を出た後は一路那覇へ。中心街の入口あたりにレンタカーを止め、国際通りを散策した。筆者の体調は相変わらずで、いろいろな沖縄の食べ物の店を見ても食欲は一切感じなかった。ただ、日本蕎麦屋の前を通ったときだけは無性にもりそばを食べたくなった。
 有名な公設市場で「豚の頭」などを見たあと、そろそろ時間なので駐車場に戻った。車に乗るちょっと前からポツポツと雨が降り出していたのだが、発車すると同時にものすごい土砂降りになった。なにせ、ワイパーをフルで動かしても、視界はほとんど確保できないのだ。つい数十分前までは晴れていたのだが…これも「沖縄ならでは」の一つなのだろう。
 そして那覇空港から飛行機に乗り、職員旅行は終わった。

 それにしても、ここまで「食」があわなかった旅行は初めてだった。香港や豪州のケアンズに行った時のほうがまだ自然に食事ができた。もともと筆者は泡盛が苦手で、自宅で飲んでひどい悪酔いをした事があるくらいだ。そういうのも含め、本質的に「食」の相性が良くないところだったのかもしれない。
 今度は嫁さんと二人で行って、あの青い海をまた見て、さらに「戦争の傷痕」をより深く学びたい、という気持ちはある。その一方で、「もう二度と行きたくない」と胃袋のほうは叫んでいる。

 
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